国会答弁と日本人
国会では閣僚や官僚が質問に対してのらりくらりと回答になっているのか、なっていないのかわからないような答弁を行うことがしばしばあります。
このような答弁には質問に対してストレートに回答しない、話をあえてかみ合わせない、相手の土俵には乗らないという特徴があります。
質問者から見れば人をバカにしているのかと怒りたくもなるでしょう。
なぜこのようなことがまかり通るのかというと、根底にあるのは自己保身です。責任を取りたくない、責任の所在を明らかにしたくない、言質を取られたくない。失敗を極度に恐れる公務員の悲しい習性が根底にあるのではないかと思います。
ですから答弁書の作成にあたっては念入りに、慎重かつ慎重にひとつひとつの言葉を選んでいるはずです。
でも、国会議員や役人を批判する資格は日本人にはないと思っています。
日本人には多かれ少なかれこのような特徴があるからです。
そもそも日本には建設的な議論をする土壌がありません。
日本では意見と人格が貼り付いています。意見を批判されると人格を否定された気持ちになり、感情的になってしまうのです。年齢性別を問いません。
本当は建設的に意見をぶつけ合って何かを生み出すことが大事です。相手の人格を尊重しながら意見に関しては忖度しないでぶつけ合っていく。これが理想の姿です。
私は天邪鬼な性格なので会議であえて反対意見を言ってみることがあります。本当は意見に賛成している場合にでもです。ちょっとした遊び心からの行動なのですが、周囲からは面倒くさいヤツとのレッテルを貼られてしまいます。